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実際、この「失われた10年」の日本のGDP平均成長率は1.3%で、1980年代の平均4.0%と比べて半分以下、生産性は先進七カ国中最低の1.8%に落ち込み、バブル期には世界中を買い尽くすかと思われた日本の金融機関や企業も、次々と外資の傘下に入りつつある。
一方で、失うものがあれば、それを取り返そうという動きがあるのも当然で、1990年代は、「改革」「変革」に向けての10年でもあった。
「改革」や「変革」を問う無数の著作や提言が行われ、一昔前であればとても考えられなかったような変化が日本を襲った10年でもあり、「失われた10年」などでは決してなかったとも言える。
まだまだ不十分だと煽りたてることは簡単であるが、現実に、「規制緩和」などは着実に進んできている。
1995年、英国に留学していた当時、夏休みにフランスに出かけた際、パリ近郊の「K」に買物に出かけた時のことが非常に懐かしい。
その規模の巨大さに圧倒されたのをよく覚えているが、2000年12月には、あのKが千葉幕張に一号店を出し、米国会員制スーパーの「C」も日本に進出している。
電話料金は下がり、飛行機の運賃も国内・国際両方とも低料金化が進んでいる。
金融分野での「規制緩和」の進展も著しい。
10年前ではとても考えられなかった「銀行の窓口で投資信託を買うこと」や「コンビ二で現金を引き落とすこと」などが今では当たり前になっている。
政治の世界での変化も激しく、国会に「国家基本政策委員会」が設置され、与野党間の党首討論が実現し、2001年からは、副大臣制も始まった。
最近では、若手議員や女性議員が多数当選するなど、確実に変化の兆しが見受けられる。
海外に住んでいたためにより強く感じるのであろうが、英国に出発した時と英国から帰国した時とでは、かなり様相が違うのである。
ところが、こうした改革や変革の数々にもかかわらず、依然として日本全体を得体の知れない閉塞感が覆い、「失われた10年」を経て21世紀という新たな時代に向けての輝ける展望は依然として開かれていない。
我々が今なお、この何とも言いようのない閉塞感から抜け出せないのは何故か。
1970年代のオイルショック、1980年代半ばの円高不況を不死鳥のように切り抜け、ずば抜けて高い対応力を示した日本が、何故、今回ばかりはこうも対応が後手に回ってしまったのかという質問と同じかもしれない。
恐らく、この点に関する一般的理解は、これまで日本経済を支えてきた既存の優れた仕組み、例えば、年功序列や終身雇用、あるいは系列関係、メインバンクシステムなどが、今回の局面では、却って足かせになってしまったということであろう。
だからこそ、「失われた10年」は同時に既存の仕組みにとって代る新たな仕組みを求めるための「改革、変革の10年」と位置づけられることにもなったのである。
そうした観点から、現在、様々な「改革」「変革」論議がなされているが、むしろ本当の課題は、そうした「改革」「変革」論議が必要とされる程度までシステムの運営が行き詰まってしまう前に、システムそのものが自ら変革していく必要があるという点にある。
その点を意識しておかないと、仮に今後数年で新たなシステムの構築に成功したとしても、30年後、50年後には、再び、停滞を招くことになるに違いない。
ところで、「改革」や「変革」を広辞苑で見てみると、前者については、改めること。
改まりかわること。
目的が国家の基礎に動揺を及ぼさず、方法もいわゆる暴力的でない変革」後者については、「変りあらたまること。
変えあらためること。
」とある。
ところが、こうした辞書的定義にもかかわらず、日本人が「改革」や「変革」を語るときのイメージは、むしろ「革命」に近いように思う。
ところが厄介なことに、この「革命」という言葉、その言葉が内包する思考過程にこそ、現在の日本の課題が凝縮されているように思われるのである。
「革命」という語について私には、百年あるいは二百年と、来るべき時に備えてマグマを内部に蓄え、限界点に達すると同時に一気にそれを吐き出す、その後には新しい山の形が生まれる、そんな大火山噴火のイメージが強い。
これを人間社会に当てはめれば、人々は抑圧され鯵積した長年の不満や怒りが、臨界点に達した時、新たな体制、価値観の確立に向けて急激に動き出し、革命以前とは全く違った社会が生み出されるということであろうか。
K苑では、「革命」について、「従来の被支配者階級が支配階級から国家権力をうばい、社会組織を急激に変革すること。
急激な変革。
ある状態が急激に発展、変動すること」とあるが、現在の「変革」「改革」論議には、現在の仕組みをガラガラぽんと上から下まで、一気呵成に変えてしまおうという意味が込められているという点で、まさに「革命」的要素が色濃く反映されている。
ところが、実際には、現在の日本には、山積した不満をもたらす客観的事実がやや欠けているのかもしれない。
経済面を見れば、日本は世界一の外貨準備を抱え、世界一の債権国、ODA供与国であり続けている。
各種の凶悪な少年犯罪や組織的犯罪が増加しているが、それでも、海外に住んだ経験のある人なら、日本がいかに安全でまた清潔な国であるかは、暗黙の了解事項であろう。
結局、「失われた10年」の日本は、「大変だ、大変だ」と騒ぎつつも、人々はそれなりに平和に暮らし、経済規模も依然として世界第二位という高い水準を保ってきた。
もちろん、企業倒産や借金苦や失業など「経済、生活問題」による自殺者の増加など放置できない問題もある。
やはり「変革」「改革」という言葉だけが踊っているのが現状であるように思う。
この点、「明治維新」や「戦後の復興」は全く異なっていた。
明治維新は、西欧列強の植民地になるかもしれないという切迫した危機感の中で起こり、成立した明治政府は徳川幕府が負っていた対外債務を更に外国からの借金で返済しなければならないほどの極貧状態であった。
第二次世界大戦後の日本は、正に焼け野原のゼロからのスタートであった。
「新たな価値観、体制」への移行という意味でも違いは鮮明である。
明治維新では、二百年以上続いた徳川幕藩体制が打破され、武士は丁髷を、落し刀を捨て、背広を着るようになった。
第二次世界大戦後は、アメリカ人が上陸してきて、民主主義や平等主義などを教え込まれた。
もちろん、新たに導入された思考方法が、100パーセント意図したように浸透し理解されたわけではなかったかもしれないが、少なくとも日本人の思考方法に一定の転換がもたらされたことは確かであり、だからこそ、これらは「革命的」だった。
ところが、現在、明治維新、戦後の復興に匹敵するほど革命的変革への必然性が肌で感じられているとは言い難いように思う。
そこで、革命的思考の問題点について考えるに当たって、「失われた10年」の間に革命的思考のために何が起こったかを冷静に見極める必要がある。
その「革命」をリードするための「新たな価値観、体制」が必ずしも明確でない中で、それを探し出そうという努力である。
それは如何にも日本的ではあるが、いつものとおり欧米に倣えということになった。
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